本日は、京都らしい坪庭のお手入れでした。
ここの御宅は私のお爺さんの代からのお得意様で、かれこれ50年近くお世話になっています。私が丁稚の頃から数えても20数年。中心に松がドーンと植わってます。
何百という松の目を、その年その年の樹勢を診ていきながら一つ一つ葉むしりしていくのですが、お爺さんに連れられて来ていた時は、仕事時間目一杯、これに掛かってたのを思い出します。
今年は特に大きな台風が来てあちこち被害があったのでちょっと慎重にむしりました。
▲ 後で掃除しやすいように養生をして、松葉を落とす。
当時は高い木に登るだけで、仕事するというより落ちない様にばかり気が走って、まわりも見えず自分の事でとにかく必死でした。親方に甘えてたなぁと思います。でも段々と仕事を覚えて出来る事が増えてきて自信にもなり、段々お爺さんも裏方に回る様になって、終いには一人任されるお庭になって、20年。
お施主さんは長い付き合いなので、まるで孫に話しかける様な感じです。
休憩の時に頂くコーヒーは格段美味しい。これまた20年変わらないコーヒーカップ…。
ちょっと好きだな!
私がいつも砂糖を入れないので、今はブラックで出していただけます。
結婚して家庭を持って子供が出来て、時期的なことで自分自身に年々変化があるのですが
「お子さん大きくなった?」「今 〇〇ちゃん何年生やろ?」と、名前や歳まで覚えていてくださいます。
植木屋さんは遠くにいる親戚よりよく顔を合わすと、言われます。
半年とか年に一回、お互いの最近なんかを喋ったり聞いたりして、本当にそうだと思います。
京都の町家は間口が狭く、家と家がくっついたテラスハウスになっている事も多く、中庭・裏庭へは、家の中を通って行かないといけません。生活の場を通る訳ですから、お互い信用が無いと気持ち悪いものです。長い年月をかけて、お爺さんがその「信用」を作ってくれましたから、今では何の気兼ねもせずに入っていって、作業が出来るのです。当たり前の様でこうなるまでが大変な訳です。ですので京町家の剪定に行くと、「お爺さん、ありがとう」自然とそう言う気持ちが湧いてきます。
もちろん剪定技術があってこそなのですが、人と人として、信用してもらえるかどうか。信用し合えるかどうかが、とても大切だなと感じています。
訳が分からない青二才が仕事も一人前も出来ず、それでも親方に付いて、仕事を覚えて今がある。「お客さんが育ててくれた!」それに尽きます。
そうこう思いを巡らしながら作業しているうちに他の木も剪定・掃除も終わり、バタバタとした1日が終わっていきます。
11月辺りから日の暮れも 「つるべ落とし」と言うぐらいあっちゅう間に真っ暗になります。
ホント外仕事してる人は、せわしない時期でバタバタとしてはります。
季節も待ってくれないし、陽も待ってくれないなぁ。
一年早いですホンマに。
でもまた『来年』を楽しみにしていただいてる方々に、こちらも出来るだけのステップアップをして応えていこうと思います。本日のお施主さんも、また来年、お互いに元気な顔を見せ合えたら良いなぁ!