スタッフ紹介

植木威文(造園家、一級造園技能士)

植木威文(造園家、一級造園技能士)

1974年 兵庫県宍粟市生まれ
1992~1996年 兵庫県立山崎高校林業科卒業後ログビルダーとして4年間修業
1996~2010年 京都府左京区にある一乗寺加藤造園にて加藤健次郎氏、加藤誠一氏に師事
2010年 植威を立ち上げる

趣味はディジュディドゥ(世界最古の木管楽器と言われている)演奏、山菜採りなど。

いつも木が身近でした

私は、兵庫県宍粟市という、岡山県との県境に近い山の中の集落で育ちました。私にとって、自然とはいつも身の回りに当たり前に有る存在で、造園の仕事をするにあたって、幼少期の時間はかけがえのない経験をもたらしてくれています。今思えば、高等学校は林業科に進み、20台前半まで本格的なログビルダーをして、その後京都左京区にある母親の里の造園会社に弟子入りをし、そして独立…。木ばかり相手にしてきたなぁ~(笑)そう思います。(しかも趣味の楽器まで木の管!)
幼い頃の私は、勉強もそっちのけで山や川遊びばかりしていました。夏は川でアユやアマゴを捕ったり、秋には自然薯を掘り、持って帰ると祖父母や父母に褒められ、嬉しかったものです。
地元の高校で林業科に入ってからは、授業として山に入ることが多く山林測量や植樹、伐採等など色々学びました。演習林というのがありまして、一週間山に籠ってひたすら林業に関する山の作業をしましたが、何せ外部との行き来を完全に断たれた環境ですので若い時分には、演習が終わって山から下りると世間がキラキラ見えたのを思い出します。

夢だったログビルダーから、植木屋へ

小学校3年生のとき、家族旅行で長野県の白樺湖のロッジに泊まった時、
ログハウスの魅力に取りつかれ、「大人になったら絶対ログハウスを建てる大工さんをやってみたい!」と思うようになりました。そして高校3年の夏休みに、三重県のログハウスを建てている会社にアポを取り、1泊2日の職業体験させていただき、卒業と同時にその会社に就職しました。そして親方に、物事の理念や信条など人生にとって一人の男として大事なことを沢山教えていただきました。勿論、遊びもお酒も(笑)
4年ほど経って、京都府左京区にある母親の里の造園会社に再就職することになり、これまでおじいちゃんとの関係が師弟関係になりました。叔父さんも継いで経営されており、感覚的に同時に二人の親方から教わった感じです。当初、造園の仕事は、若くて元気で体力があるはずなのについていくのに必死でした。大工さんとは体の使い方が全然違うんですね。それに季節に追われているといいますか、生き物(植物)相手の仕事はこういうものなのか!と、改めて大変さに身震いしたのを覚えています。独立してからはそういうわけにはいきませんが、雨が降ったらお休みです。でも、盆前正月前の剪定の多い時期は、2か月休み無し!なんてこともありました。

独立

独立して、屋号に植木屋の「植」と威文「威」をとって、「植威」とつけました。苗字が植木なので、名前を省略して屋号にしているようにも見えます。初めての方に名刺をお渡しすると、「お仕事にピッタリですね!」と言って頂きます。「植木屋の植木さん!」一度で覚えていただけるのは有り難いことで、今では気に入っていますが、植物の事は何でも知っている人と思われて、逆にプレッシャーです(笑)。まだまだ若輩者で、実際仕事先で施主様から学ぶことも多いです。
妻と一緒に仕事をするようになって仕事内容の幅が広がりました。建築設計出身の妻からの意見は、勉強になる事が多く、なかなか楽しいです。造園に対する既成概念が少ないというか。私はどうしても出が職人ですので頑固な部分もあると思いますが、見事にそれを崩してくれるんです(笑)あまりに図星な事を言われたりするので、つい口論になってしまう事もありますが…。おかげで我が家の家事は自然と分担です(笑)

植木マサコ(空間デザイナー)

植木マサコ(空間デザイナー)

1979年   和歌山県和歌山市生まれ
2001年   京都造形芸術大学デザイン学科環境デザインコース卒業後主にヨーロッパ各地を建築旅行
2002年   南方設計にて設計見習い 建築設計事務所にてアルバイト等
2004~2008年 (有)キアラ建築研究機関
2011年~  植威でデザインを担当
2015年   庭と建築のトータルプロデュースやリノベーションの、デザイン部門を立ち上げる。

趣味はウクレレ演奏、旅、スキューバダイビング、ウォーキングなど。二児の母。

とにかく空間が好きだった

子供の頃から、「空間づくり」というものにとても魅かれていたように思います。大好きだった遊びはレゴブロックや秘密基地づくり、小学校低学年で自分の部屋が出来てからは、模様替えもよくやりました。父が建築設計事務所を営んでいたという事も影響があったと思います。
大学では、建築だけでなく造園設計も学びました。3回生からは都市計画を専攻し、街の調査や都市づくりも学びました。今思えば、自分は一体何をしたいのか、常に自問自答しながら過ごしていました。
課題の忙しくない時期はバイトしてお金を貯めては旅に出ました。卒業後は、ヨーロッパ建築を実際見てみたいと思い、就職せずに旅に出ました。海外ではバリ、ギリシャ、トルコ、エジプト、タイ、台湾、ドイツ、フランス、スイス、イタリア、スペイン、カンボジア…目的は様々でしたが、旅で出会う建築や町並み、雄大な自然、遺跡、庭園、人、宗教、習慣、食べ物…本当に沢山の刺激を受け、今の感性があると、感じています。いつもバックパックの個人旅行だったのですが、卒業後の旅で、長期でいつ帰ってくるかわからないと言ったときに、「あんた、死んでも知らんしな。」と、送り出してくれた母に、本当に感謝しています。今まで旅をして好きな場所は沢山ありますが、とてもプロフィールに書ききれませんので、改めてブログでまとめて行きたいと考えています。

どっぷりと建築に向き合った日々

放浪の?旅から帰って来て、とりあえず実家の設計事務所で一年間修業させてもらい、実務経験を付けました。その後知り合いの設計事務所などにアルバイトなどさせてもらいながら、縁あって大学時代の恩師でもある建築家松本正氏の事務所に就職させてもらうことになりました。最初は小さなアトリエ系の事務所だったのですが、喜ばしくも就職して間もなくしてどんどん大きな仕事が入ってくる状況になり、これまでの人生では考えられない程の激務を経験しました。大きな事務所で働いたこともビルの設計をしたこともなかったので、本当に必死で勉強しながら仕事をしました。同時に、事務所の規模も大きくなっていったので、社長の在り方や経営についても本当に色々と勉強させてもらいました。

風景を考える

主人と仕事をするようになって最初の頃、造園の世界と面と向きあった時、ものすごいカルチャーショックがありました。今まで建築をしていたので仕事上外構計画もやっていたし、大学でも少しはかじったつもりでいたのですが、いざ、その世界に入った瞬間から、驚き戸惑いの連続でした。建築には法的なこと、予算的構造的なことなど条件や制限が多く、それをいかにクリアするか、いかに利用しうまくやるか、その中でいかに自由でいられるかという事を考えていました。造園には、もちろん予算や希望など、制限はありますが、それが建築と比べてとてもソフトです。こうしてもいい、ああしてもいい、自由度が最初からすごくあるので、考えるとっかかりが難しいのです。二人で打ち合わせをしていると、主人がここにはこの木、そこはこの木と、決めていくのですが、最初は「なんで?」の連続でした。実際、多少なんでもいいような時もよくあるようですが(笑)。しかし、決して誰でも出来るものではない、こんなにも感性がものを言う世界も少ないなと、感じています。
自身の経験から、庭(外構)から考える建築というのも面白いなぁと思うようになりました。建築と、もっとコラボレーションしていく道もあるのではないかな。それは空間を造るにあたって、素晴らしい可能性を秘めているのではないかなと考えるようになりました。
大学時代からずっと自問自答してきた、一体何がしたいのかということ。少しずつですが、「わくわくする風景を造りたい」「美しい風景を造りたい」んだと、言葉になるようになってきました。そして、新しい空間が、クライアントや道行く人をわくわくさせているとしたら、それは私にとって、とても幸せなことなのです。

斉藤大樹

斉藤大樹

1995年   滋賀県草津市生まれ
趣味はサーフィン、自転車、料理、コーヒー焙煎。

庭師になるきっかけは、プロ選手を目指して幼少期から続けていた自転車競技が怪我で出来なくなったことでした。急に目標がなくなってしまいとりあえず鉄工所に勤めましたがあまり向いていなかったようで一年で退職。そういえば幼少期から毎日泥だらけになって遊ぶのが好きだったので、植木屋さんは楽そう?と、不純な理由から始めたのがきっかけでした。しかしだんだんと、石の据え方、剪定のやり方、空間の見せ方、少し違うだけで全てが変わってしまう奥深さに魅了されていき、今に至ります。

原 昂士

原 昂士

趣味は写真を撮ること、古着・陶器・骨董品・絵画集め、読書(小説)。

自然とは程遠い幼少期、自然との出会い

私は、千葉の住宅街に生まれ、身近には建築物や道路などの人工物に囲まれた世界で過ごしました。身近な自然といえば、街路樹や公園など人工的につくられた自然でした。そのような環境でずっと生活してきましたが、父の影響で高校生の頃から写真を始め、色々な自然風景と出会いました。山や海など人の手が加えられていないありのままの自然に初めて触れ、自然が持つはかなさや迫力、美しさに惹かれていきました。

大学での日々

大学ではデザインについて学びたいと思い、ランドスケープデザインや建築デザインについて学べる大学に進学しました。そこでデザインについて学んでいく中で、不特定多数の人々を対象とした公共建築より、そこに住む家族のため、より人との結びつきが強い住宅に興味を持つようになりました。また、趣味である写真を通して体感した自然の持つ安らぎを日常でも感じられれば、より日々の生活が変化に溢れ楽しいものになると思い住宅と庭・自然の関係性について探求していくようになりました。

将来の方向性

住宅と庭の関係性について考えていく中で、自然のことについて知識のない自分はデザインに悩んでいました。就職では建築事務所を第一に考えていましたが、造園職人として実際の自然と触れることで今までとは違う新たな視点から建築と庭の関係性を見つけられるのではないかと思うようになりました。建築から考えるのではなく庭から考える、建築が主役ではなく庭が主役、植物が生き生きとした自然のための空間が人にとっても安らぎをもたらす居心地の良い空間になるのではないか。そんなことを考えながら設計をし、自然と触れ合っていきたいです。